なぜ、不登校生向けの学習支援を始めたのか?(ポルト設立の思い)
私がポルトでやろうとしていること。
それは、「不登校支援」でありつつも、それだけではありません。
一人ひとりの理解度やペースに合った学びをつくること。
「わかった」「できた」という実感と自信を積み重ねること。
もう一度、「学ぶって楽しいな」と感じてもらうこと。
そして、自分で学んでいく力を身につけてもらうこと。
それが、私が学び場ポルトを始めた理由です。
私は、「不登校になって、学校の一斉授業から離れたからこそ得られる学びがある」と考えています。
そう考えるようになった背景には、私が長年、大人の教育に携わってきた経験があります。
大人の教育に携わって、ずっと感じていたこと
私はポルトを始めるまでの約30年間、企業研修や社会人教育など、大人の学びに関わってきました。
その中で、ずっと感じていたことがあります。
自分から「知りたい」「できるようになりたい」と思っている人は、放っておいてもどんどん学びます。こちらがすべてを教えなくても、自分で調べ、試し、吸収していきます。
逆に、自分から学ぼうとする意識のない人は、どれだけ良くできた研修やカリキュラムを提供しても、その場では学んでも、なかなかその先につながっていきません。
だとしたら、教育で本当に大切なのは、コンテンツやカリキュラムの質を高めること以上に、「自分から学ぼうとする力」そのものを育てることなのではないか?
そんなことを、ずっと考えていました。
そしてその力は、長い人生を生きていくうえで非常に重要な力である、と思っています。
人は、どうすれば「自分から学ぶ」のか
では、人はどういうときに自分から学ぼうとするのでしょうか?
このことを考えるうえで、私がいつも参考にしている心理学の理論があります。
アメリカの心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンらが提唱した「自己決定理論」です。
自己決定理論では、人の内発的な動機づけに深く関係する基本的な心理的欲求として、
「自律性」――自分で選んでいるという感覚
「有能感」――自分にもできるという感覚
「関係性」――人と安心してつながっているという感覚
の3つを挙げています。
私は、これは子どもの学びにもそのまま当てはまると思っています。
「やらされている」のではなく、「自分でやっている」感覚。
難しすぎてわからないのではなく、「あ、できた」と感じられる手ごたえ。
そして、わからないときに安心して頼れる人がいる。
こうした環境があってこそ、「自分でやってみよう」という気持ちが生まれると実感しています。
一斉授業では難しい
一方、現在の学校教育の多くは、一人の先生が大勢の子どもたちに同じ内容を教える一斉授業を基本としています。
もちろん、大勢の子どもたちが一緒に学ぶ学校では、ある程度そうならざるを得ません。
また近年は、探究学習やアクティブラーニングなど、子どもが主体となる授業も増えてきています。
それでも、教科学習では「先生が教え、生徒が教わる」という構図が中心であることに、大きな変わりはありません。
その形式では、どうしても個人の理解度やペースに合わせることに限界があります。
今やっている内容はわからないけれど、2年前の単元まで戻れば理解できる子もいる。
一方で、得意な教科はどんどん先へ進みたい子もいる。
漢字を書くことは苦手だけれど、文章を読んで考えることは得意な子もいる。
本来、人の学びやすさは、人それぞれで違って当たり前なのですが、学校ではそこに応じきることが難しいのが現実です。
実は、この問題は学校現場だけで語られていることではありません。
文部科学省も2021年の中央教育審議会答申以降、「個別最適な学び」を教育政策の重要な柱として掲げています。
そこでは、一人ひとりの特性や学習進度、到達度に応じて、指導方法や教材、学習時間などを柔軟に設定する「指導の個別化」と、一人ひとりの興味・関心などに応じて学習を深める「学習の個性化」が示されています。
さらに、子ども自身が学習を調整しながら進めていくことの重要性も指摘されています。
つまり、「みんなが同じ内容を、同じペースで学ぶ」だけではなく、一人ひとりに合った学び方へ変えていく必要があるという問題意識は、国の教育政策にも明確に表れているのです。
不登校になったからこそできる学びがある
ここで、少し逆説的なことを言います。
学校に行かなくなったことによってできる学びもあるのではないか。
私はそう考えています。
学校の一斉授業から離れれば、全員と同じところを、同じスピードで勉強する必要がなくなります。
中学3年生だからといって、中3の数学から始めなくてもいい。
中学校の分数がわからなければ、小学校の分数まで戻ればいい。
逆に、得意なところは学年に関係なく先へ進めばいい。
興味を持ったことがあれば、教科書から離れて、とことん調べてもいい。
というように、自分の理解度とペースに合わせて学ぶことができます。
私はここに、不登校になった子どもたちの学びの大きな可能性があると思っています。
学校に行かないことで失うものにだけ焦点をあてるのではなく、学校に行かないからこそ得られる学びもあるのではないか。
そして、そこに適切な伴走者がいれば、「勉強を取り戻す」だけではなく、「学びの楽しさ」や「自分なりの学び方を見つける」こともできるのではないか?と思うのです。
もちろん、「不登校になってよかった」なんて簡単には言えない
一方で、安易に不登校を肯定的な出来事として語ることはできません。
文部科学省の令和6年度調査では、小中学校の不登校児童生徒は約35万4千人。12年連続で増加し、過去最多となっています。
数字の大きさもさることながら、その一人ひとりに本人の苦しさがあり、ご家族の不安があります。
「このままで大丈夫なのだろうか?」
「勉強が挽回できないのではないか?」
「高校に行ってちゃんと就職できるのだろうか?」
そんな不安を抱えているご家庭に、簡単に「不登校になったおかげで、本当の学びを得るチャンスだね」などと言うことはできません。
ただ、不登校になったからといって、学びに対して悲観的になる必要もない。私はそう思っています。
大人の教育でやってきたことを、子どもたちへ
私は長年、大人の学びに伴走してきました。
実は、大人に何かを学んでもらうのは簡単ではありません。
「それを学ぶ意味がわからない」
「自分には必要ない」
「今さらできない」
「忙しくて時間がない」
大人には、それまでの経験から生まれた先入観や固定観念もあります。だから、「これを覚えてください」「これをやってください」だけでは、取り組んでくれません。
どうすれば「やってみようかな」と思ってもらえるのか?
どうすれば「自分にもできた」という実感を持ってもらえるのか?
どうすれば、その人自身が自分から学び始めるのか?
私はそんなことをずっと考え、試行錯誤してきました。
今振り返ると、その経験は、不登校になり、勉強から距離ができてしまった子どもたちの学びの再開時に必要な要素と、よく似ていると感じています。
無理にやらせても続かない。
本人が納得すること。
自分にもできると思えること。
自分のペースで進められること。
そして、困ったときには一緒に考えてくれる人がいること。
そういう環境をつくることが、「もう一度やってみよう」につながるのではないか?
そう考えています。
「学校に行けない」と、「学びたくない」は同じではない
実際に不登校の子どもたちと接していると、
「高校には行きたい」
「みんなから遅れたくない」
「勉強がわかるようになりたい」
「そろそろ勉強しないとな」
と思っている子が一定数います。
学校に行っていない。でも、学びたくないわけではない。
私は、この二つを分けて考えることがとても大切だと思っています。
「学校に行けない」ことと、「学びたくない」ことは、同じではありません。
不登校でも、学びたい子がいる。私は、その気持ちに応えたい。
勉強がどこまでわかっているのかわからなければ、一緒に現在地を確かめればいい。
わからなくなったところがあれば、そこまで戻ればいい。
そして、
「わかった」
「できた」
「もうちょっとやってみようかな」
を少しずつ増やしていく。
その積み重ねの先で、いつか「学ぶことって、おもしろいな」と思ってほしい。
そして大人になったときにも、自分に必要なことを自分で見つけ、自分で学び、自分自身をアップデートしていける人になってほしい。
不登校になったという経験を、人生の「遅れ」にするのではなく、「自分なりの学び方を見つけるきっかけ」にしてほしい。
そして幸せな人生を作り上げていってほしい。
そう願うことが、私が不登校の子どもたちの学習支援を始めた理由です。
それをポルトで実現していきたいと考えています。
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